歴史と伝統

創業 大正十五年。
培った眼で大切なお着物を一点一点査定いたします。

弊社は大正十五年創業、山梨県鰍沢まるや呉服店は明治より呉服に携わって参りました。世界に誇る日本の伝統衣裳である着物を大切に扱いたいと思う気持ちはどこにも負けない自信があります。
着物文化が昔のように少しでも身近になればと思っております。大切なお着物を安心してお任せください。

創業百余年、過去から未来へ紡ぐ。
着物の価値と伝統を、次の百年にむけて。

わたしたち忠右衛門は、確かな目利きで選び抜いた着物を、百余年にわたりお届けしてまいりました。
着物は、日本人にとって、単なる衣服ではなく、日本の伝統文化や歴史を象徴する特別な存在です。
日本人特有の世界観や自然への敬意が、繊細な職人技で表現された着物は、
日本人の文化的アイデンティティの象徴と言えるでしょう。

当社は、多様な人が自分らしく生きられる社会の実現を掲げ、サービスや商品を通して、人やモノの背景にあるストーリーに思いを向けるきっかけを提供したいと考えています。
着物を通して民族の歴史やルーツを感じていただくこと。
そして、日本人が代々受け継いできた感謝の心や世界観を未来へとつないでいくこと。
それがわたしたちの願いです。

現在、日本の家庭には3,000万点を超える着物が眠っていると言われています。
一方で、多くの着物が行き場を失い、廃棄されているという悲しい現実もあります。
わたしたちは、リサイクル着物の専門店としてこの課題に正面から向き合い、
埋もれてしまった着物に新たな可能性を見出してまいります。

一枚の着物から始まるストーリーを大切に語り継ぎ、みなさまの生活を彩る存在でありたい。
これからの百年も、歴史や伝統に深く学びながら、古き良きものに新たな命を吹き込み、
常に新しい提案をしてまいります。

株式会社Colorful Studio
代表取締役 袴田久美子

沿革

明治
26

まるや河住商店 正月売り出しの広告

大正
15

河住忠夫により有限会社かねたの前身、カネタ市場(新品・中古を取り扱い)創業。
カネタ商店創業。

昭和
5年頃

まるや呉服店にて

まるや呉服店はかねた商店のルーツ。山梨県鰍沢町で呉服商、量衡売捌所を営みながら富士川の舟運業もおこなっておりました。当時の鰍沢は流通の玄関口として大いに栄えておりました。「丸にヤの字の帆をかけて~♪」という「まるや節」を歌う船頭さんたちの歌声が富士川に響いていたそうです。
上の写真で最左で座っているのが23代目河住忠右衛門(当店の店名はここに由来しています)。最右に立っているのが、かねた創業者 河住忠夫です。その後、まるや呉服店は世界恐慌のあおりをうけ残念ながら廃業してしまいましたが、河住忠夫は浜松の地で独立開業し今に至っています。

昭和
27

有限会社かねた 設立

昭和
40

昭和40年代の店内

戦後の朝鮮戦争による特需景気ガチャ万景気(ガチャマン=ガチャンと織機が動くたびに万札が入るの例え)、神武景気、岩戸景気、いざなぎ景気と呉服業界の好況は続きいつも店内や倉庫には商品が山積み。右から左に商品は売れていき商品があればあるだけ売れた羨ましい時代でした。まだまだ日常生活の中にキモノがあった時代です。

高級京呉服卸商 かねた社屋

当社の左隣は『夜のお菓子』がキャッチフレーズの浜松銘菓、うなぎパイで有名な春華堂さんの本社工場でした。

当時のスタッフ

写真中央座っているのが、創業者 河住忠夫。最左に座っているのが現会長河住圭吾。
半纏には「カネタ市場」とかいてあります。当時は衣類にも魚市場と同じような市場がありとても活気がありました。
当社の市は「サンパチかい」と呼ばれ毎月三と八のつく日に開かれました。最盛期には一度のカイ(オークション)で大型トラック何台分もの商いがありました。また、振袖の展示会などは会場にお客様が入りきれず入場制限をすることもありました。

昭和
56

『カイ』、いわゆるオークションの風景

これは皆さん初めてみる光景ではないでしょうか。
昭和56年の『カイ』、いわゆるオークションの風景です。
ハチマキのオッちゃんがセリ師で徐々に値段をせり上げます。

本場大島なんかも驚くような値段(安くて)で右から左へ飛ぶように売れました。

令和
5

株式会社 Colorful Studioへ事業承継